愛のすべて。
「愛のすべて。」と潤んだ瞳で問いかけてくるポスターが印象的。
ルオー没後50年、パナソニック汐留ミュージアム開館15周年という特別なルオー展「ジョルジュ・ルオー 聖なる芸術とモデルニテ」開催中につきプレス内覧会に行ってきた(プレスではなくブロガーとして参加)。※写真は特別に許可を得て撮影
ジョルジュ・ルオー財団理事長(ルオーのお孫さん)ジャン=イヴ・ルオー氏
毎年ここで開催されるルオー関連の展覧会。ここのところ欠かさず観に行っている中今回は本当に特別と思う。特別な作品が展示されているというのもあるし(写真のルオー氏の背景の絵《サラ》は普段氏のオフィスにかけられ、生前ルオーがアトリエに何十年もかけていて絵の具を重ね彫刻のように厚くなっている)、キリスト教とルオーというど真ん中展示ということもある。元々ルオーの絵はキリスト教に根付いているけれどそれを直球で持ってくると急にとっつきにくい感が。宗教画題、受難とか受肉とか言われても…。
しかし。
「愛のすべて。」というあのポスターの台詞通り、宗教を超え全ての人の心に訴えかける愛についての作品群なので、文化や民族や宗教を問わず感動できる絵の数々が並んでいた。
とはいえ、プレス内覧会で後藤新治先生の解説を聞き、副題の意味や章立ての意味を理解してみると又深く味わえる展示と思ったので、簡単に以下に説明を(そんなのいいわ、感性で観るわ、という場合は下の見どころ3点だけで後はすっ飛ばして読んでください(^^;)。
◇見どころ
- ヴァチカンから来てる絵!(別の展覧会でヴァチカンが貸し出すなんて!という話を聞いてえらいことなんだな(^^;と)
- ガラスがかかってない絵がある!あの絵の具が盛り上がった様子や色の透明感がガラス越しじゃなく見られるまたとない機会
- 旅するのに耐えられない絵が来てる!厚くて脆いので今度いつ日本に来れるかわからない
以上大まかに3点。ルオーの絵は解説なくても心に迫ってくる。
◇副題「聖なる芸術とモデルニテ」について
モデルニテとは現代性、近代性。一方聖なる芸術、中世以来のキリスト教芸術は古典。芸術とは古典的で永続的な美の規範に対する反逆である(古典と現代性は半々であるべき)byボードレール。
ならば20世紀を生きた画家であるルオーの古典に対する反逆、モデルニテとは?革新性は?というのが展覧会のテーマ、なのかな(急に弱気(^^;)。
◇4つの章立てと読み解くための4つのキーワード
第1章 ミセレーレ:蘇ったイコン
第1のキーワードはイコン 版画の複製性
元来イコン(礼拝用画像)は家庭でオリジナルをコピーして用いていた。現代の版画の複製性に通じる。
ルオーの慈悲と戦争がテーマの版画集《ミセレーレ》は、まるで20世紀に復活したイコンのような作品(蘇ったイコン)。各タイトルも全てルオーが考えた。
《ミセレーレ12》のタイトル「生きるとはつらい業…」
《ミセレーレ13》のタイトル「でも愛することができたなら、なんと楽しいことだろう」
続けて読むと、版画全体の主題が現れている。「生きる苦悩」と「愛による救済」
第2章 聖顔と聖なる人物:物言わぬサバルタン
第2のキーワードはサバルタン 被抑圧者の無言の抵抗
サバルタンとは発言の場を持たない民族、虐げられ抑圧された人(被抑圧者)のこと。
第2章で集められた《聖顔》は栄光のキリストの顔ではなく物言うすべのないサバルタンの苦しみを代弁する顔。
第3章 パッション:受肉するマチエール
第3のキーワードはマチエール
ルオーの独特なマチエール(絵の具厚塗りして彫刻のようになった絵肌)は、絵の具を塗り、塗った絵の具を削って薄くしてまた塗る、削っては塗るを繰り返し厚くなる。
第4章 聖書の風景:未完のユートピア
第4のキーワードはユートピア 管理社会への警告
ヨーロッパで描かれてきたユートピアとは大海の孤島であったり山のてっぺんの秘境であったり現実世界と隔絶された姿で描かれてきた。一方ルオーのユートピアとは。
《秋 または ナザレット》ヴァチカン美術館蔵 1948年
太陽が輝き、地平線に建物、中央の末広がりの開かれた道には自由に人々が集う。
隔絶していない、誰にでも常に開かれた世界。
民族差別、難民排斥など内に閉じようとしている現代社会への警鐘にも見える。
以上、慣れない単語が多い中、ルオーの誰の心にも響く絵に助けられ、ほんの少し理解することができたことをまとめてみた。
「ジョルジュ・ルオー 聖なる芸術とモデルニテ」はパナソニック汐留ミュージアムにて2018年12月9日まで。
帰り道の夕景