うさこ観覧記

またブログ始めました。展覧会観て自分のために何か残さないとすぐ記憶が流れていくから。

東郷青児の画業の真ん中あたり

東郷青児記念損保ジャパン日本興亜美術館(長いのでいつも損ジャと呼んでる('◇')ゞ)にて「生誕120年東郷青児展 抒情と美のひみつ展」のweb内覧会に行ってきました。*)会場内の写真は特別に許可を得て撮影。

自分にとって東郷青児とは、損ジャの常設コーナーでゴッホのひまわり、セザンヌのりんご、それとグランマモーゼスとともに必ず数点絵が並び、行くたびに違う絵だけど印象は同じ(ゴメンね)で、すーっと流して見るけど結構好きな損ジャで慣れ親しんだ画家。

あとタカセのお菓子の缶の人。

イメージは完成されたスタイル、無機質でしなやかで洗練された

↓この左の絵「望郷」の感じ。

それと最近仕入れた知識、今年埼玉県立近代美術館で見た「日本のキュビスム展」←知らないことばかりでとにかく面白かった展覧会、ここでキュビスムの最初期の画家で紹介されていて、こんな絵も描いていたのかとびっくりしたこと。

今回web内覧会の解説でも東郷青児(1897-1978)は近代美術史で下写真のような前衛的絵画を描く最初期の画家として重要というお話だった。

初期の前衛的絵画と確立された美人画は有名だけれど、その間の画業があまり知られていないので、今回はその真ん中あたりをしっかりカバーする展覧会とのこと。

 

個人的にすごく面白いし素敵だなあと思ったのは本の装丁。それと雑誌の表紙絵。

一番目をひくのは戦前の藤田嗣治とのコラボ壁画。当時パリ帰りで人気のあった藤田に次々と洋風壁画制作の依頼があり、そのうち東郷(藤田より10才年下)が一緒に描いた作品が丸物百貨店の大壁画。東郷は「山の幸」(↓写真の右の絵)、藤田が「海の幸」を描き、その対の2作が会場に並んで展示されている(ただし藤田作品は著作権の都合上ブログ写真なし)。

山の幸

戦後は本当だったら藤田に舞い込んだはずの復興日本の壁画制作、それが戦争画により藤田が日本を追われるように去ってしまい、東郷が数々をこなすことになったという巡り合わせも含めて興味深い。

京都朝日会館の壁画の原画

↓の左側の絵「星座の女」は1944年の作品と。戦中にこんな優雅な絵を描いていたのかと驚くとともに、かたや藤田は戦争画を描き戦後の日本での活躍が閉ざされたという対比が際立つ。

星座の女

手術室

官能的な絵多し。手袋靴下フェチだよ(-_-;)。

官能といえば、LIXILの宝もので見たお色気モザイクタイル画もあった!これ好き。

 

東郷は1921年に渡仏して7年間滞在、1920年代のエコールドパリを経験してピカソや藤田とも交流。1920年代に日本からパリに渡る画家がたくさんいたのは第一次大戦の後、不戦国の通貨が上昇、円高になったせいという話や、本の装丁を始めた当時の日本はちょうど男子の普通選挙権が制定(1925年)されたころで、一般の人々も知識や教養を得なければで美術全集などが飛躍的に売れたなど、東郷の活躍した当時の社会背景も知ることができて、とにかく興味深かった。心中事件や宇野千代さんとのことなど図録でしっかり読んだし。

最近個人的に興味がある日本の戦前の社会の様子を知ることができる展覧会だった。

 

東郷青児展は、東郷青児記念損保ジャパン日本興亜美術館にて2017年11月12日まで。  

 

美術館からの夜景。