うさこ観覧記

またブログ始めました。展覧会観て自分のために何か残さないとすぐ記憶が流れていくから。

同時代の画家を一緒に観るっていいね!カンディンスキーとルオー

「表現への情熱 カンディンスキー、ルオーと色の冒険者たち」のweb内覧会に行ってきました。※写真は特別に許可を得て撮影

今回のweb内覧会ではSNSで登録してブロガーとしては登録せず。でも、とても見応えあってTwitterInstagramだけではなんだか言い足りない感があったのでブログにしてみた。

(と言いながら、内覧会直後に国宝展や長澤蘆雪展や奈良に行ったり東京国際映画祭が始まったりでブログにするのだいぶ遅れてしまった(;^_^A)

 

パナソニック汐留ミュージアムは、マティスとルオーとか、モローとルオーとか、〇〇とルオーシリーズ毎年開催されているみたいで、実をいうとルオーよりもマティスだったりモローだったりに興味があって毎回観にいくのだけれど、行くと必ずと言っていいほどルオーいいね!で帰ることに。

たぶん、汐留ミュージアムがルオー推しなので毎回いいルオー( ´艸`)が揃うからなんじゃなかろうか。同時代の様々な作家とルオーを比べることでルオーへの理解がより一層深まるしかけなのでは。〇〇はあくまで囮説(笑)

それが。

今回はちょっと違った。

もちろんいつも通りいいルオーも揃ってた。特に海外からの《ヒンデンブルク》という作品。有名なナチスを招いてしまったヒンデンブルク肖像画。外見も似ているけどそれを越えて本質を捉えてて唸ってしまう。

そして、ルオー以上に今回はカンディンスキーが充実してる。カンディンスキーの画業を俯瞰できる3作品が展示され、カンディンスキーの理解も深まる。更に言うとクレーも。更にドイツ表現主義の画家たちも充実。

これらは全て宮城県美術館の所蔵作品ということにも驚いてしまう。

コレクション|特色 - 宮城県公式ウェブサイト

を見ると、カンディンスキーとクレーのコレクションが特色の一つと。一度だけ訪れたことあるけど是非再訪してドイツ表現主義の特集展示など見てみたいと思う。ちなみにカンディンスキーの重要作《商人たちの到着》も《活気ある安定》も今は汐留に来ているので、今は汐留にGO!

なんといっても魅力的だったのが展覧会のメインビジュアルにもなってる《商人たちの到着》。遠くから見ても良いし、近づいて、色の組み合わせ、色の大きさ、色そのものの美しさ、まさに色の冒険者という言葉がぴったり。色だけでなく形も魅力的で、遠景のロシアの玉ねぎ建物と城壁、木々、帆船、近景の壺まで見ていて飽きない。

https://www.instagram.com/p/BauCXBAn_OK/

抽象のカンディンスキーに宗教のルオー?はて?と行ってみると。同時代に交錯する両者の重なる部分に👀おお!!そして離れていくの。見応えあった。 #色の冒険者たち #パナソニック汐留ミュージアム ←Instagram

(ちなみに、展覧会の最後に自撮りコーナーがあって、この絵で自撮り写真を撮影してダウンロードできるサービスあり)

 

《「E.R.キャンベルのための壁画No.4」の習作〈カーニバル・冬〉》も素晴らしく。今回の展示では、当時カンディンスキーのパートナーだったカブリエーレ・ミュンターの《抽象的コンポジション》(横浜美術館所蔵)というどこか可愛らしい絵(写真右の絵)が隣同士に並ぶという夢の競演も。カンディンスキーの絵が1914年、ミュンターの絵が1917年作なので約100年ぶりの絵の再会。

 

《活気ある安定⦆(写真右)はいかにもカンディンスキーな絵。←実をいうと、こういう抽象絵画はあまり興味なかったけれど、なるほど初期の《商人たちの到着》、そして《カーニバル・冬⦆を経てたどり着いたところがここなのですね。と思うと、今までと違った興味がわく。

カンディンスキーのことばかり書いてしまって、ルオーとの接点や比較について書く余裕がなくなってしまった。大雑把にいうと、題名にあるようにカンディンスキーもルオーも色の冒険者で、同時代の同じ空気の中で表現を求め、同じようモティーフで絵を描き、その後カンディンスキーは抽象を、ルオーは宗教を極めていくけれど、ルオーの中にもまるで抽象画のような表現もあるし、ぱっと見ると共通点はないようでいて、やはり両者とも最後まで色の冒険者だった、そういう流れかな。端折り過ぎたけど(;^_^A

 

マックス・ペヒシュタインの《われらの父》。これは展示替えありで続きも是非見たい。

いいクレー( ´艸`)もたくさんありで、とにかく見ごたえある内容で、もう一度じっくり観に行く予定。

「表現への情熱 カンディンスキー、ルオーと色の冒険者たち」展は2017/12/20までパナソニック汐留ミュージアムで開催中。

 

 

 

 

 

東郷青児の画業の真ん中あたり

東郷青児記念損保ジャパン日本興亜美術館(長いのでいつも損ジャと呼んでる('◇')ゞ)にて「生誕120年東郷青児展 抒情と美のひみつ展」のweb内覧会に行ってきました。*)会場内の写真は特別に許可を得て撮影。

自分にとって東郷青児とは、損ジャの常設コーナーでゴッホのひまわり、セザンヌのりんご、それとグランマモーゼスとともに必ず数点絵が並び、行くたびに違う絵だけど印象は同じ(ゴメンね)で、すーっと流して見るけど結構好きな損ジャで慣れ親しんだ画家。

あとタカセのお菓子の缶の人。

イメージは完成されたスタイル、無機質でしなやかで洗練された

↓この左の絵「望郷」の感じ。

それと最近仕入れた知識、今年埼玉県立近代美術館で見た「日本のキュビスム展」←知らないことばかりでとにかく面白かった展覧会、ここでキュビスムの最初期の画家で紹介されていて、こんな絵も描いていたのかとびっくりしたこと。

今回web内覧会の解説でも東郷青児(1897-1978)は近代美術史で下写真のような前衛的絵画を描く最初期の画家として重要というお話だった。

初期の前衛的絵画と確立された美人画は有名だけれど、その間の画業があまり知られていないので、今回はその真ん中あたりをしっかりカバーする展覧会とのこと。

 

個人的にすごく面白いし素敵だなあと思ったのは本の装丁。それと雑誌の表紙絵。

一番目をひくのは戦前の藤田嗣治とのコラボ壁画。当時パリ帰りで人気のあった藤田に次々と洋風壁画制作の依頼があり、そのうち東郷(藤田より10才年下)が一緒に描いた作品が丸物百貨店の大壁画。東郷は「山の幸」(↓写真の右の絵)、藤田が「海の幸」を描き、その対の2作が会場に並んで展示されている(ただし藤田作品は著作権の都合上ブログ写真なし)。

山の幸

戦後は本当だったら藤田に舞い込んだはずの復興日本の壁画制作、それが戦争画により藤田が日本を追われるように去ってしまい、東郷が数々をこなすことになったという巡り合わせも含めて興味深い。

京都朝日会館の壁画の原画

↓の左側の絵「星座の女」は1944年の作品と。戦中にこんな優雅な絵を描いていたのかと驚くとともに、かたや藤田は戦争画を描き戦後の日本での活躍が閉ざされたという対比が際立つ。

星座の女

手術室

官能的な絵多し。手袋靴下フェチだよ(-_-;)。

官能といえば、LIXILの宝もので見たお色気モザイクタイル画もあった!これ好き。

 

東郷は1921年に渡仏して7年間滞在、1920年代のエコールドパリを経験してピカソや藤田とも交流。1920年代に日本からパリに渡る画家がたくさんいたのは第一次大戦の後、不戦国の通貨が上昇、円高になったせいという話や、本の装丁を始めた当時の日本はちょうど男子の普通選挙権が制定(1925年)されたころで、一般の人々も知識や教養を得なければで美術全集などが飛躍的に売れたなど、東郷の活躍した当時の社会背景も知ることができて、とにかく興味深かった。心中事件や宇野千代さんとのことなど図録でしっかり読んだし。

最近個人的に興味がある日本の戦前の社会の様子を知ることができる展覧会だった。

 

東郷青児展は、東郷青児記念損保ジャパン日本興亜美術館にて2017年11月12日まで。  

 

美術館からの夜景。

 

 

 

心待ちにしてた展覧会「浅井忠と京都遺産」

https://www.instagram.com/p/BY5Ack0Hg_O/

浅井忠の京都遺産展のweb内覧会に行き、後日改めて講演会にも行ってきました🏃写真は内覧会の時に許可を得て撮影。これずっと楽しみにしてた展覧会なのよね。 #浅井忠 #美術工芸 #泉屋博古館分館 👈Instagram

ブログでは、泉屋博古館分館で開催中「浅井忠の京都遺産 京都工芸繊維大学 美術工芸コレクション」展心待ちの理由、本展の様子、そして京都工芸繊維大学美術工芸資料館並木誠士氏講演会「浅井忠とデザイン教育の夜明け」で聞いた話を交えて。

1.きっかけは武田五一展とセラミックスジャパン展

先月までLIXILギャラリーで開催されていた「武田五一の建築標本 近代を語る材料とデザイン」展。ここで京都工芸繊維大学(以下、工繊大と表記)の教材について知る。

初代学長の中澤岩太は開学(1902年)準備のため武田五一をヨーロッパに派遣、武田はたくさんの建築標本を持ち帰った。さらに中澤は当時の芸大からパリ万国博覧会(1900年)視察に派遣されていた洋画家浅井忠を工繊大図案科にスカウト(ここで浅井忠登場!そして本展覧会につながる)、浅井忠も工繊大のためにアールヌーヴォーのポスターや陶磁器など教材になるものをたくさん持ち帰る。武田五一展ではこの部分は紹介のみで展示はなく、否応なしに浅井忠は一体どんな教材を持ち帰ったんだろうの興味が。

また、今年の初めに見た松濤美術館「セラミックス・ジャパン 陶磁器でたどる日本のモダン」展では浅井忠とアールヌーヴォーの展示があり、ここでも興味を持った。

そしていよいよ本展覧会「浅井忠と京都遺産」。

今年観覧した2つの展覧会で興味を持ったそのものずばり、浅井忠が持ち帰った教材、その後の作品、浅井忠と京都の美術工芸との関わりの展示だ。

更に、浅井忠は洋画から何故図案の方に?も気になるところ。

 ↓ 浅井忠の描いた《中澤岩太博士像》と武田五一図案の《百合花模様花瓶》

会場の様子は内覧会にて特別に許可を得て撮影

 (メモ:フェノロサ岡倉天心、工芸ではワグネルと中澤岩太)

 

2.工繊大のコレクション

工繊大のコレクションの成り立ち。なんと実際にアールヌーヴォーが大流行のパリで、当時の日本人がいいね!と思ったものを教材用に持ち帰ったという。さらに洋画の浅井忠が選んだという。なんてリアルタイムな教材、なんと贅沢で貴重なコレクションなんだろ。

展示室の最初にミュシャのポスター。今の私たちが見てもアールヌーヴォー素敵と思う、それと同じように浅井忠もこれは!と思って最先端のポスターを学生たちの教材にしたのだ。よく見ると折り目が入っていて、船便のため小さく畳んで持ち帰ったそう。陶磁器も小さめなものが多く、やはり船便のことを考えてとのこと。大変な思いで持ち帰った教材。光っていたりメタル調だったりするちょっと変わった釉のものが多いのも図案研究とともに釉薬研究のための教材だから。それにしてもどれも素敵だしなんとなく愛らしい。今の私たちの感覚と通じるものが。

 

 

 渡仏した後変化した浅井忠の洋画作品と晩年この制作のために過労死?の大作《武士山狩図》も展示。また、同時期の住友家の所蔵品との比較などもあり、展示室が実質2室なのに見ごたえある。

 

3.浅井忠の図案

浅井忠の図案、この本を↓知っていたし、セラミックスジャパン展でも浅井忠図案の小皿(今回も展示あり)を見ていたので、以前よりかわいいなあもっと見たいなあと思っていた。

浅井忠の図案―工芸デザインの革新 (近代図案コレクション)

浅井忠の図案―工芸デザインの革新 (近代図案コレクション)

 

特に動物の図案。今回講演会のスライドで見た動物の小皿などかわいくてカラフルで工繊大の学生さん達にも人気だそうで、今見ても新しいしかわいい。

会場では躍動感あふれる猪がデザイン化されこんな蒔絵箱に!

同じく講演会のスライドで紹介された図案帖の中に、黒猫白猫の連続横長模様やカエル模様、花と蝶の連続模様など、今これをマステにしたら絶対売れるし絶対欲しいと思うような図案があった。デザインとして完成されていてかつかわいらしい。余談だけど工繊大で黒猫白猫やカエルの浅井忠オリジナルマスキングテープ作ったら人気でると思う。この展覧会でも出して欲しかった!

大津絵デザインも愛らしい。

京都に移ってからは日本画も描き、アールヌーヴォーと琳派風な文様や(相性よさそう)日本のかわいらしさがデザインになって具現化する。

 

4.浅井忠と京都

講演会でなるほどと思ったのは、京都にとって明治維新と近代化は天皇の東幸であると。そんな風に考えたことなかった。現在の視点で見れば、京都の工芸はそれまでの伝統産業でやっていけばよく、何も新しいデザインを追い求める必要ないのにと思えるけれど、当時の京都の人たちは、それまで伝統産業を支えてきた公家や天皇家が東へ移り大変な危機感があり、新しい産業を生み出す必要性にかられていたのだ。そして工繊大の設置要望となる。

浅井忠は工繊大の教授として図案科の指導をしただけでなく、京都の工芸家に図案を提供し新しい陶磁器や漆器を生み出そうとしていた(遊陶園、京漆園)。亡くなる年には自分の絵付け陶器を売るお店九雲堂も開店した。

しかし、急に亡くなってしまったこと、その後伝統模様への揺り戻しが来たりで、結局京都に新しいデザインが根付くことはなかった。講演会では、もし浅井忠がもう少し長生きしていたら京都の伝統産業も今と違うものになっていたかもというお話だった。

 ↓ 浅井忠《梅図花活》

最後に。

洋画家として渡仏して、本場の洋画に触れ、普通考えるとそれを吸収して自分の新しい絵画へ展開して行くのでは?何故図案の方に大転換?の疑問は。

アールヌーヴォーにそれだけ魅せられたから。デザインというものに魅せられたから。それと、パリに行ってみたら黒田清輝よりも旧派と言われたのに新派の黒田清輝さえも既に古くさく、もう新しい絵画の流れを追う気にはなれなかったのでは?という話だった。(メモ:浅井忠の亡くなった1907年にピカソアヴィニョンの娘たち)

展覧会の全体を見て、何故図案に大転換?は、デザインという新しい分野への好奇心と後進を育てたいという気概と京都に新しい伝統産業を作りたいという熱意、京都への深い肩入れだったんじゃないのかな、と思った。

 

 「浅井忠の京都遺産 京都工芸繊維大学 美術工芸コレクション」展は、泉屋博古館分館で10/13まで。

京都工芸繊維大学美術工芸資料館にも行かないと。 

挿絵本の愉しみ方を教わる

静嘉堂文庫美術館で開催中の「挿絵本の楽しみ」展のブロガー内覧会に行ってきた。

直後に上げたInstagram

https://www.instagram.com/p/BTF5TQwDOrf/

#挿絵本の楽しみ ブロガー内覧会。直前に絵巻マニア列伝に行って挿絵本へ。トークショーでもこの二つの展覧会を見て違いを考えると面白いというお話が。※写真は特別に美術館の許可を頂いて撮影 #挿絵 #文庫

当日のトークショーにて橋本麻里さんから「同時期に挿絵本と絵巻の展覧会が開催されています。挿絵本と絵巻、絵と文という点で同じ、そこで違いを考えながら鑑賞すると面白いのでは」というヒントをいただく。

たまたま直前にサントリー美術館の「絵巻マニア列伝」展を鑑賞していたので、なんとタイミングがいいこと!

絵巻と挿絵本、何が違うかというと、形態、目的、読者。

例外はおいて大雑把にいうと-

絵巻は手描きの一点もの、主目的は物語を見て楽しむ、読者は天皇や貴族。絵巻そのものが権力の象徴でもあった。

挿絵本は印刷物中心、大半が木版画で複数存在し、目的に物語も含まれるけれど絵解き、参考書、解説、記録などの情報伝達と多岐に渡る、読者はより広く一般大衆まで。

ここを押さえておくと、挿絵本の特徴がわかるし、挿絵本世界の楽しみ方がわかるしくみ。素晴らしい。

トークショーで聴いた中国における挿絵本の広がりについて、中国は元々文字の国で絵がつくのは結構新しく爆発的に広まったのは明時代。そのきっかけは明の前の宋時代に貴族ではない一般の子供たちが科挙を受けることになったこと。文だけではわからない絵で解説しないと、という切実な要望が。そうやって受験参考書として絵付きの挿絵本が広まったのが下地としてあり、明時代になると経済が活性化し印刷物にお金を使える人が増え挿絵本が爆発的に広まったと。

挿絵本が何故作られ広く頒布したのかは社会の要請、需要があったから。挿絵本は社会の反映。

なるほど。挿絵本の目的と社会背景を考えて見る。それが一番の楽しみポイントかも。

もちろん、絵が楽しい美しいという楽しみ方も可。

  • 岩崎灌園「本草図譜」1844頃写  

個人的に一番面白いと思ったのは、記録する挿絵本のコーナー。旅行記や漂流記など。これは絵があってこその分野と思ったのと、とにかく内容が面白い、あと時代背景も。そして知らない世界、行ったこともない世界を絵が説明する情報量の多さ。

「東韃紀行」あざらし物々交換

記録する挿絵本で気になったの、もっと他の頁も見たいなあと思ったのは-

  • 司馬紅漢「西遊旅譚」1974刊:1788年司馬紅漢が一年かけて長崎平戸を旅した旅の記録。それは見てみたい。
  • 山本清渓「あたみ紀行」1807年写(自筆):なんか急に緩い感じでこれも。
  • 間宮林蔵・村上貞助「東韃紀行」19世紀写:樺太(サハリン)が島であることを発見、間宮海峡の人。間宮林蔵のことは教科書で習った程度、このように挿絵入りの詳細な本があったとは。探検の様子が絵で。
  •  大槻玄沢・志村石渓「環海異聞」19世紀写:1793年石巻から江戸に向かう乗員16名の若宮丸が難破、8カ月後(え?!)アリューシャン列島の島に漂着。シベリアを経てペテルブルクにて皇帝に謁見!1804年(漂流から11年後‼)希望した4名(残りの人は?)がロシア艦にて長崎に帰着。同行したロシア使節ニコライ・レザーノフは日本に通商を求めたが幕府は拒絶。帰りしなに択捉、利尻、国後を攻撃して帰る(えー!そんな)。もう経緯を読んだだけでびっくり仰天な内容な上、またこの挿絵が。紹介されている分だけでも興味津々。観覧車のようなものまで書かれていて、この時代に既にあったのか、など。それとこの事件は幕府が北方警備などに目覚めるきっかけとなったと解説あり、今の北方領土問題にも通じる出来事。

とにかく、漂流記面白い。解説によると近世全体で確認されているだけで400件も漂流があったそう。海に囲まれた国だからね。。。鎖国で(最近は鎖国という言葉を使わないそうだけれど)限定的にしか海外情報が入ってこない時代に、この生の海外情報は幕府によって厳重に調査され文書に残されたと。こういった時代背景や情報管理も興味深い。

他の挿絵本も-

  • 「機構図彙」1796刊:からくり人形などのしくみを解説した本で、今でもこれをみると再現可能なほどで、海外からの評価が高い。
  • 「永楽大典」明時代写:明時代に永楽帝の命により編纂された一大類書(百科事典のようなもの)。名前だけ知っていたものが静嘉堂文庫にあるとは。現存するのは世界で400冊。中国は国家プロジェクトでデータを集めていて静嘉堂文庫の8冊のデータも収集されたそう。貴重。あ、永楽大典も権力の象徴では?
  • 「琵琶記」明時代1610年頃刊:物語の挿絵でとにかく線が細かい!江戸時代の浮世絵の彫と摺りの細かさもこのあたりからの影響という解説があった。

こんな感じで、たぶん全冊逸話や社会背景など解説を聞けば面白いこと間違いなしの目を見張る挿絵本がたくさん紹介されているのだけど、絵に一番惹きつけられたのはこれ。

  • 妙法蓮華経変相図」南宋時代前期(12世紀)写:変相図とは仏の教え、仏の世界を絵で表したもので、庶民にわかりやすい絵解きになってる分、なんだかゆるかわの絵が。細かいエピソードがびっしりと書き込まれており、その中でキャプションがついていた「火宅の譬え」では、燃え盛る火に包まれたおうち(苦と煩悩にみちみちてるこの世)の周りで遊ぶ子供たちに楽しげな牛車、鹿車、羊車で誘って外(悟りの世界)に連れ出そうとしている絵が。

妙法蓮華経変相図は初公開だそうで、これが見られただけでも行ってよかったなあと思った。渡辺崋山の重文の「芸妓図」もあったし。なにより挿絵本の世界の楽しみ方を知ることができたし。

「挿絵本の楽しみ 響き合う文字と絵の世界」展は静嘉堂文庫美術館にて4/15から5/28まで。

※写真は美術館の許可を得て撮影。

お庭も素敵

 

 

 

 

 

 

 

 

怒涛の春桜旅と美術館巡り

奈良、姫路、三ノ宮、西宮、心斎橋、京都と怒涛の春旅。ノープランで行き、結果桜巡りと美術館巡りに。

春。陽気もよくなったころ、京博の海北友松展に行きたいなあとぼんやり。でも桜の季節もGWの季節もたぶん京都のホテル一杯だろうし無理かなあとホテル検索するとやっぱり満室(すごく高い所かドミトリーのような安いところしかない)。

それが、行けるならこの日が最後だと思った日の2日前の夜、もう一度検索してみたらいつも泊まってるビジネスホテルに空き室が!で急きょ決定。

そうそう。ホテルは直前のキャンセル料発生時期になると空き室でるんだよね~。そして今年の桜はちょっと遅めでちょうど満開時期に合いそうなので京都1泊だけではもったいないと連泊割のあった姫路2泊も押さえた。実際のとこ、同じホテルチェーンでお部屋も同じぐらいなのに京都1泊と姫路2泊がほぼ同額。もうここ数年京都に泊まるのは本当に厳しい。お値段も予約も。

あまりに直前だったので予定も立てず、奈良in京都out間に姫路、という旅程と、姫路に泊まってる間用に「倉敷尾道瀬戸内の島」というガイドブックだけ持って旅に出た。

それが。

最初の目的地、奈良国立博物館で観たポスター2枚で予定ががらっと変わる。

まず、奈良博の快慶展が思いのほか良かったのでこれは仏像ブームに一度乗り遅れたけど再乗車できたかもしれない!という気分で、快慶展の横に貼ってあった大阪市立美術館「木×仏像」展、それと派手さ煌びやかさで目を引いた西宮市大谷記念美術館「勝部如春斎」展。

しかし、これ行っちゃうと観光ができないよなあとうーんうーん悩んで、でもうっすらと予定していた倉敷や直島や岡山は行ったことあったし尾道はちょっと遠すぎだし、やっぱり美術館巡りは楽しいし、それに桜巡り加えればいいか!と奈良博の地下一階のポスターいっぱい貼ってあるラウンジで決めた。ユトリロは現地で発見!

結果、巡った美術展は

  1. 快慶展 奈良国立博物館
  2. なら仏像館 奈良国立博物館
  3. ユトリロ回顧展 姫路市立美術館
  4. 木×仏像展 大阪市立美術館
  5. 勝部如春斎展 西宮市大谷記念美術館
  6. 海北友松展 京都国立博物館
  7. 番外として京都の千本釈迦堂 ←快慶と慶派の仏像を観に

千本釈迦堂のおかめ桜とおかめさん

それに、姫路城と二条城のさくら祭り(両方とも夜桜、これについては後でアルバムに)。

姫路城はぐるっと桜サイクリングもしたし、西宮の大谷記念美術館へ行く道の夙川の桜(名所らしい)も観たし、とにかくどこもすべて桜満開。電車乗っててもそこらじゅうピンクの世界で本当に桜尽くしの旅だった。

 

あ、おまけとして荷物を預けた三ノ宮駅で下車したので三ノ宮の異人館スタバでお茶も。いちようこれも観光かな。

スタバは珈琲一杯で異人館気分味わえるのいい。 

 

家や暮らしは生き方そのもの

パナソニック汐留ミュージアムで開催中の「日本、家の列島」展のブロガー内覧会に行ってきた。※特別な許可を得て写真撮影をしています。

建築は明治大正昭和の洋館とか近代建築とか有名処を観るの好きだけど、こういう一般住宅それも今人が住んでる現代の住宅についてどうかなあと思いながら、ヨーロッパで好評だった巡回展の帰国展(こういうのに弱い)で参加を申し込む。展覧会の企画者の話が聞けるというのも興味があった。

副題が「フランス人建築家が驚くニッポンの住宅デザイン」とあり、これは最近テレビで多々流れ、もう勘弁してほしいと思ってる日本スゴイ系か?!と身構えてしまったが、まあ副題通り、展覧会の企画者がフランス人4人で、この人たちが驚いた日本の住宅なのだからその通り。

そして驚くという言葉は、日本の独特な住宅建築事情、日本人の住宅への想いや内と外の感覚、実際住んでる様子など生の日本の住宅とそこに暮らす人を観た素直な感想で、所謂日本スゴイが好きな人の日本人としての自尊心を満たすための言葉では決してなかった。

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内覧会では、4人のフランス人企画者の解説もあり、そこで話されていたのは、ここで取り上げた建築の数々が普通の人、有名人や超セレブな人でなくごく一般の人の家だというのがユニークなことらしい(とはいえ、一般庶民の日本人の感覚からいうと、いくら狭い土地であっても建築家に頼んだ戸建て注文建築に住む人たちというのはだいぶ恵まれた階層かと思われるが)。

会場構成は3章立て。

第1章が20世紀までの有名な日本の家の紹介「昨日の家」

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私でも知っている名前と聞いたことある家が同じ縮尺の模型と写真でずらっと並んでてひとつずつ観るのが楽しかった。

第2章が「東京の家」

東京にある有名建築家が建てた住宅の写真、街に溶け込む住宅の外観を写し出し、東京の街の様子の写真展として見ごたえがある。

第3章が「今の家」

これがメインで建築家の建てた20の家を写真、映像、ドローイング、スケッチ、模型、そこに住む人と建築家へのインタビューで多角的に展示。

素人の私が一番わかりやすかったのは映像で、そこに住む人が自然な形で家で暮らす様子を写す短いドキュメンタリー。これは会場内の映像の家でまとめて見ることもでき、この不思議なドキュメンタリー(淡々と家で暮らす人々)は観ていて飽きなかったし家の特徴がすぐにわかる。※渡辺篤史の「建もの探訪」みたいに身構えた住む人がインタビューに答えたり大げさに驚いたりはしない。

こうしてフランス人からの視点で日本の家について知ることは、日本独特の風習というか暮らし方や文化を新しい目で見直すことにもなるし、家や暮らしというのは生き方でもあると改めて考えたりもした。最近家での暮らしがないがしろになってたから。

「日本、家の列島 フランス人が驚くニッポンの住宅デザイン」展はパナソニック汐留ミュージアムにて2017年4月8日(土)~6月25日(日)まで。

https://panasonic.co.jp/es/museum/exhibition/17/170408/index.html

 

 

シャセリオ―に魅了される

https://www.instagram.com/p/BRInHYgj4Bw/

西美web内覧会に行ってきた。シャセリオー?誰?状態で😅でもこの前通る度に魅惑的な彼女の肖像画見てみたいなあと思ってたから前売券は購入済みだった。 #シャセリオー

 

 国立西洋美術館で開催されるあまり馴染みのない画家の展覧会は行った方がいい。絶対楽しい。最近ではメッケネム、ホドラー、ちょっと前ではハンマースホイ。という訳で今回もそう。

シャセリオ―のこと全然知らずに観に行って、帰りがけにはすっかり魅了されてた。内覧会の一時間ではとても足りない。

シャセリオ―(1819-1856)、新古典主義のアングルの弟子として出発し、途中から新古典主義の反対側にいるロマン主義ドラクロワに傾倒する。どっちも制覇のいいとこどり?シャヴァンヌやモローが私淑したシャセリオ―という説明を目にして、なんとなく感じが掴めた。

最初はシャセリオ―が16才の時に描いた自画像から始まる。

16才でこれ。彼の内面まで描かれてるこの完成度。11才でアングルに弟子入りっていう所で飛びぬけて絵が上手い人なのがわかる。

シャセリオ―はカリブ海イスパニョーラ島出身のクレオール(植民地生まれ)でオリーブ色の肌に厚い唇とエキゾチックな容姿、フランス社会の中では容姿が劣ると(まあ外国人の私からはわからない劣るとか劣らないとか)しかし優雅な雰囲気を持った人だったそうで、確かにこの絵でもそれが伺えナイーブで心に秘めたものがある複雑な人物に見える。

会場では自画像の横に父と自分を重ね合わせたような《放蕩息子の帰還》(左隅の犬がかわいい)が並び、ここから彼の人生と絵画を辿っていくと、師匠アングルとの方向性の違いからの別離、人気女優との2年の恋のエピソード、そして37才で若くして亡くなる話まで、出自から若い時の自画像そして夭折まででセンチメンタルな気分に。なんといってもこれからというときに亡くなってしまうのが哀しい。おまけに代表作の大作、会計検査院(現在のオルセー美術館の敷地)の大壁画が燃えてしまったというのも。

ギュスターヴ・モローは、シャセリオ―の死を悼み、《若者と死》という作品を仕上げていて、この絵から受けるシャセリオ―の人生の印象が最後決定的。

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展示では、19世紀フランス絵画でシャセリオ―と呼応する作家たち(アングル、ドラクロワクールベ、ルドン、モロー、シャヴァンヌなど)の作品も並び、シャセリオ―がどんな位置にいたのかもわかるし影響受けた与えた関係もわかって理解が進むし観ていて面白い。

冒頭の《カヴァリュス嬢の肖像》に代表される肖像画群、オリエンタリスムなど、他にも見どころ、心が動いた絵がたくさんあって一時間ではとても味わいきれなかった。

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シェイクスピアが流行ったこと、オリエンタリスムが流行ったこと、新古典主義ロマン主義、そこから象徴主義に至ること、ヴェネツィア絵画の系譜など、今まで断片的だった知識がシャセリオ―によってなんとなく繋がった、自分の美術鑑賞にも有益な展覧会だった。

オリエンタリスムが流行って他の作家たちがそういうエキゾチックな絵を描くのと、クレオールであるシャセリオ―が描くのでは全然違うのではないか。多様性を尊重する目で描いているのではないか。というのを後から思ったので、そこも確認してみたい。

とにかくもう一度訪れないと。

シャセリオ―展19世紀フランス・ロマン主義の異才」は上野の国立西洋美術館にて5/28まで。

 

※写真はweb内覧会の様子で特別に許可を得て撮影されたもの。